Pier Paolo Pasolini e la ragione di un sogno
イタリア語原題日本語訳 ピエル・パオロ・パゾリーニと夢の理由
監督 ラウラ・ベッティ Laura Betti
音楽 ブルーノ・モレッティ Bruno Moretti
公開年 2001年
パゾリーニ作品の出演者であり、パゾリーニや彼の家族とも深い親交があった
女優ラウラ・ベッティが制作したドキュメンタリーです。
ラウラ・ベッティ “Sbatti il mostro in prima pagina”1972年
とはいうものの、バイオグラフィーにしてはきっちり年代を追っていないうえに完結もしていない、
フィルモグラフィーにしては整理されていないし…
パゾリーニの映画作品やニュースなどの動画、写真、出版物を使って、シーンによっては合成までして構成された、
パゾリーニをテーマにした作品というところでしょう。
そういう作品なので、当館主が印象に残ったシーンを見ていく形の紹介にします。
1975年11月2日。
パゾリーニの遺体が発見された、海にほど近い
イドロスカーロ・ディ・オスティア Idroscalo di Ostia。
遺体発見現場に集まった近所の人々。
大人は一様に、パゾリーニ殺害に驚き、恐怖に凍り付いた表情で質問に答えているのに対し、
子どもたちは笑っています。
「パゾリーニって知ってる?」という質問に対して
「知らなーい」の答え。
パゾリーニが亡くなったことを分かっている子どももいます。
パゾリーニとエズラ・パウンドの対談。
パゾリーニはエズラ・パウンドをデッサンし始めます。
グラブ型付け加工
なかなか良い出来。
パゾリーニは絵が得意だったんですね。
パゾリーニの葬儀のようす。
一目見ようと集まった人々があふれかえり、その中を関係者が担ぐ
パゾリーニの棺が進んでいきます。
号泣するニネット・ダヴォリ。
サッカーに興じるパゾリーニ。
メンバーにフランコ・チッティら、パゾリーニ作品の常連の顔も見えます。
この試合のチーム名は『1900年』と『ソドムの市』。
★ ☆ ★ ★ ☆ ★
パゾリーニに限らず、イタリアの映画監督や男優は
(イタリア人男性の多くは、というべきか)本当にサッカーが好きですね。
それも観る以上に、自分で遊ぶのが。
子ども時代の遊びで終わらず、大人になっても、ボールを蹴って遊んでいる
写真は結構見かけます。
この作品を観て一番の収穫は、パゾリーニが絵が得意だったということです。
瞬間的に対象物の特徴を捉えて表現していく-
さすが詩人ですね。
パゾリーニといえば、この頬杖ポーズ。
★ ☆ ★ ★ ☆ ★